「見えない音、聴こえない絵」大竹伸朗 ちくま文庫(2022年8月10日) 書評

書評

 最近、ある絵本作家の講演会での一コマだ。様々な興味ある話の中に、突如でてきたワード。(正確に言うならば突如ではなくきちんと文脈はあったのだが、、、)それは、「芸術とは固定概念を覆すのが仕事である」という言葉だ。ちょうど大竹伸朗著の本書を読んでいた時期と重なり、読みながら何かエタイノシレナイモノを感じていたのだが、先の言葉が妙にしっくりときたのだ。

 大竹伸朗は、現代芸術のカリスマ的存在だ。(仮にそれを本人が望まないにしてもやはりそうなのだと思う。)本書での肩書は画家。確かにそうだ。本書の中でも「絵」を追い求め続ける様が、本人の数々の言葉で綴られている。しかし、読み進めていくうちに、画家という肩書には留まらないことが読む者の確信となる。彼は、間違いなく文学の人でもある。言葉のチョイスの秀逸さ、着眼したことや心情、情景を表現した叙述は読む者の内面に浸透する、いや、時には刺さるのだ。また、音楽への造詣も深いこれらは一見別物のように見えるかもしれないが、決してそうではないのだ。大竹伸朗にとっては全て一体のものなのではないか。誰かが決めた肩書になどにはカテゴライズできないのではないか、いや、カテゴライズする必要などないのではないかと思わされる。核となるのは間違いなく「絵」なのであろうが。では、「絵」とは何かということが定義されなくてはならないのかもしれない。これに答えられる人はどれだけいるのだろう。この壮大なる問いを追究し続けているのが大竹伸朗なのかもしれない。

 本書「見えない音、聴こえない絵」は、「遠景 記憶と想像」「全景」「近景 日常と創造」そして、「単行本あとがき」「絵ビートの轍-文庫版あとがきにかえて」「解説 原田マハ」「解説 石川直樹」という構成で作られている。「遠景」では、彼が子ども時代の様々なエピソードが語られる。彼が、「絵」というものに向かう様が、瑞々しい記憶から語られる。読み始めた読者をぐっと惹き付ける力がある構成になっている。幼い子ども時代から、少年期から青年期の中で「絵」を追究し、創作を続け、日本国内に留まらず、外国での暮らしを通じて、更に創作を続けていく様がユーモアを交えながら綴られていくのだ。

 読みどころ満載の数多くのエッセー(と言って良いのか分からないが)の中で印象的なもののひとつが「近景 日常と創造」の中の「トースト絵画である。冒頭には次のような言葉がある。「目の前の手のひらのトーストは絵画なのか?」これは、10代だった大竹伸朗が突如抱いた問いだ。一部を抜粋してみよう。

-トーストにいつものようにバターナイフでバターを塗り、バターより硬めに練られた茶色系のピーナッツ・バターをその上に塗った。つい先までパレットナイフで油絵具をキャンヴァスに塗りつけていたことから、ところどころにコゲ目のついた白っぽいトーストにピーナッツ・バターを塗る行為、その光景に一瞬「絵画」が思い浮かんだ。 中略 「食べられる絵画」という思いに体内の血液が逆流した。― 

 あらゆるモノやデキゴトは現在進行形のアートの主題として十分と成り立つといった問題意識が一気に膨らみ始めた頃のことらしい。この出来事は、ある意味現在に至るまでの象徴的なものかもしれないと本書を読み終えて感じたのだ。

 そして、最後に忘れてはらないのが、原田マハさんと石川直樹さんの二人の解説が掲載されていることだ。それぞれの視点から語られる「大竹伸朗」について触れられることは、読者とって僥倖なことといっても過言はないだろう。これらの解説まで読んでこそ、この1冊を心ゆくまで堪能したと言えるのではないかと思うのだ。そして、間違いなく実際に大竹伸朗作品に触れたくなるはずだ。本書はそんな1冊なのだ。

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